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大阪市住吉区長居の鍼灸治療院

当院について

ごあいさつ

わたしがどうして鍼灸を始めたかをお話しさせてもらいます。

当院のホームページを見ていただき、ありがとうございます。

わたしは産まれ付き(先天性)背骨が曲がっている「脊椎側弯症」という病で、背中の痛が継続し、最も改善したのが、鍼灸の師匠にあたる藤本蓮風先生(鍼灸の学術団体の北辰会(社)代表)の鍼を受けた時でした。
(他、胆嚢炎後の身体疲労、頭痛・吐気・不眠症・アレルギー性鼻炎・ドライアイ・アレルギー性皮膚炎の痒みと肥厚・腰痛・膝痛・股関節痛など改善。)わたしの苦痛が改善したはりきゅうで、痛みや症状に悩み苦しむ方が少しでも改善するきっかけになれたらとの思いがあります。

東洋医学は、多くの方にとってまだ一般的でないため、わかりにくいと思います。わたしもそうでした。

鍼灸の専門学校に入るまでは受けたことがありませんし、病院で出されていた漢方薬を飲んだぐらいでした。ただ、学校に入ってからも、東洋医学として病を治していた鍼灸のことは余りわかりませんでした。

そこで探した所が、北辰会という勉強会でした。そこでは、古典を現代の臨床に活かすことで、様々な病を鍼灸で治すための勉強がされている、と感じ入会しました。

東洋医学の良さ、自然で無理のない考え方をわかりやすくお伝えすることで、今のあなたに少しでも活かせることができたらと思います。

専門学校に入る前では、鍼は痛そうで恐いので、できれば受けたくないと思っていました。また、北辰会の鍼を受けるまでは、刺激が強く、受けた後に疲労感で動けず座り込み30分ほど休まないといけないこともありました。

ところが、蓮風先生の鍼は、最初に受けた瞬間に10年ほど続いていた頭痛が軽減してゆき、とても清々しい気分になり、休憩後は体が軽くなっていました。また、不眠症でしたが、鍼を受けたあとは非常に心地よく眠っていました。はりが効果的で体が楽になるから、体が心地よくなると思います。この様なはりで心地よさを実感してもらいながら良くなってもらえたら、という気持で取り組んでいます。

はりきゅう 宮本徹鍼堂 院長

宮本 教一

はり師・きゅう師・按摩指圧マッサージ師

「徹鍼堂」の由来

北辰会(社)に入会して勉強を始めた当初からお世話になった先輩に開業の相談したところ「徹鍼堂」の名前が出てきました。
それを藤本蓮風先生にお伝えしたところ、一筆賜りました。

日々悩み迷うこともありますが、この書を見るたびに気持ちを新たに、鍼に徹することで少しでも苦しむ方が楽になるきっかけになれたらと思いなおしています。

経歴(病歴)

出生
(1975年)
出生後、斜頸あり左頸部の手術により左手足が動く様になる。
先天性の突発性脊椎側弯症と診断、手術が必要となる状態。担当医師の判断で、装具(ミルウォーキーブレイス)による経過観察となる。2歳より背骨の湾曲の悪化防止のため装具の装着開始。成長が止まる17歳まで装具をしていた。
1991年
高校の柔道で頭部打撲、頭痛と嘔吐が出現し、偏頭痛との診断だが服薬による治療は効果が無く、症状と精神不安から不登校となり退学。頭痛は継続、嘔吐は緩解するが吐き気が出現していた。
1993年
大学入学資格検定(現在の高等学校卒業程度認定試験)を取得。
1995年
近畿測量専門学校入学、卒業時に測量士補の資格取得。
測量会社に就職。勤務中に目の痛みが出現、業務の継続困難となり病院を受診。眼精疲労とドライアイと診断、点眼液以外の治療は無く、複数の医師より現在の業務内容の継続困難との判断を受け退職。以後、複数のアルバイト(スーパ・運送・販売店など、フリーター)をして過ごす。
2004年
腕が痛みで上がらなくなり、病院の治療では回復しないため、整体院を紹介してもらい回復。鍼灸あんまマッサージ師という仕事を始めて知る。
2005年
関西医療学園専門学校の受験後に胆嚢炎発症、炎症は回復したが15㎏以上痩せる。身体疲労があり、すぐに息切れする状態で通学開始。
2006年
冬に鍼灸の学術団体北辰会に入会し、藤本漢祥院での鍼灸治療の受診を開始。
2008年
関西医療学園専門学校卒業。同年はり師・きゅう師・あん摩マッサージ指圧師の資格取得。
藤本漢祥院で内弟子勤務を開始。体調不良でミスが多く、内弟子継続が困難となり5カ月間で辞める。院長の配慮で週一回の漢祥院の研修開始。
藤本新風副代表に藤本玄朱堂鍼灸院の研修を不規則ながら開始。
2009年
新風先生の勧めで、漢方クリニックの研修を開始、5年間で終了。また、2009年に鍼灸整骨院の勤務も開始し、院内や往診での施術を担当する。
2016年
色々あったからこそ、色々な人に出会い、そのお陰で開業に至る。現在北辰会で準講師として勉強中。